2013年11月23日土曜日

YCombinatorのfounderであり、スタートアップの神様であるポール・グレアム

今日からブログはじめました。
今後しばらくは、海外の起業家と投資家を中心になるべく高頻度で更新していきたいと思います。


そこで、今日ご紹介するのはシリコンバレーでY ConbinatordropboxAirbnbに出資したVC)の共同設立者をしていらっしゃるポール・グラハムさんを紹介します。
ポール・グレアムさんについては、近頃少しずつですが日本でも語られるようになってきました。
そこで今回、私は今まであまり取り上げられてこなかった彼の生い立ちについて改訂きたいと思います。







Y Combinatorのポール・グレアム




1970年代前半、アメリカのペンシルバニア州郊外で育ったポール・グレアムは、当時テレビと映画の中の世界だけで表現されていたコンピュータの存在に魅了されるようになります。
彼にとってそれらは、制限の無い無限の力を持った電気脳みそのような物でした。


そして、高校時代になると、ポール・グレアムはますますコンピューターに魅了されるようになります。
そんな時、数少ない選ばれた才能のある生徒にのみ、
履修のチャンスが与えられる選択授業にて、
ポール・グレアムは自由に自分の好きなプロジェクトを実行する権利を得ます。
そこで彼は、IBMのメインフレームを用いて成績表とクラススケジュールをプリントアウトするプロジェクトを立ち上げる事に決めたのです。
そして、結果的にそれがキッカケとなって、初めてポール・グレアムの手にコンピュータが手渡されることになります。


それから数年間、ポール・グレアムはいくつかの本を参照にしながら、独学でプログラミング方法を学習します。しかし、彼は実際、なんだかんだ本よりも”トライ&エラー”、つまり実際にコーディングしていく事から結果的により多くを学びました。その”トライ&エラー”は、後のポール・グレアムに大きな影響を与えることになります。



グラハムはその後、大学でもコンピュータサイエンスを専攻として学ぶ事を決意します。
そして彼は、コーネル大学に行く事を決意しました。
何故ポール・グレアムがコーネル大学を選んだのかというと、
コーネル大学は当時のアメリカで最もコンピューターサイエンスに時間を割いている大学だったからです。
そこで、ポール・グレアムは基本的なプログラミングの理論を学びます。
その理論は、ポール・グレアムが昔”トライ&エラー”によって、
自分自身で築き上げてきた質の悪いハッキングの趣向を綺麗で質のいい物に改善しました。



そして、その後ポール・グレアムは様々な授業を受ける中で、人工知能にも魅了されるようになります。
なぜ人工知能に魅了されたかというと、人工知能はポール・グレアムが子供の頃から夢にみていたコンピュータに最も近い形だったからです。
そしてその人工知能への興味が、ポール・グレアムにその分野の辺境を知りたくてたまらなくさせました。



その後、人工知能業界の最先端にたどりつくために、ポール・グレアムはハーバード大学にてコンピュータサイエンスに進み、修士と博士号を取る事になります。



しかし、そのハーバードにて、グラハムは最終的に彼に取って非常に大事な問題に直面しました。
それはつまり、ポール・グレアムは学界に合っていないという問題でした。
まず、彼はレポートの事を嫌っていました。それに加えて、大学の提供するのプログラミング学習は彼に取ってクソだったという問題もありました。
というのも、大学でのプログラミングの学習方法は、ポール・グレアム独特の”トライ&エラー”という学習方式の中にある楽しさを、全て奪ってしまうものだったのです。
お分かりになるでしょうか?
大学はどんどん年齢が上がれば上がるほど、学術的な学習、つまり研究に近くなっていきます。
それに対して、ポール・グレアムは根っからのハッカーです。
ポール・グレアムは、自分自身のハックのために、プログラミングの学習をしていました。研究のためではありません。
それが、彼に取っては非常に問題でした。



そんな悩みに頭を悩ませる一方で、同じ悩みを抱えるハッカー仲間をハーバードで見つけます。
それはローバート・モーリスです。
ポール・グレアムとモーリスはすぐに意気投合します。
そしてハーバードに在学中、彼らは一緒にLipsという言語について、とても詳しく勉強しました。
そしてその当時かなりマイナーでかつ難解であったLipsを勉強する事は、
彼にプログラミングの本質的な何かを理解させる事となります。



そんな折に、彼はハーバードのコンピューターサイエンス部門に幻滅させられる中、
ポール・グレアムは自分の興味分野を探るために、クラスの授業分野を拡げてみました。
そして驚いた事に、ポール・グレアムは自分が芸術に魅了されている事に気がつきます。



そんな新たな興味分野を発見したポール・グレアムは、
学士をハーバードのコンピューターサイエンスを卒業した後に、
ためらう事無くロードアイランドデザインスクールとフィレンツェの美術学校で絵画を学びます。
そして卒業後、アメリカに帰った後に、自分で絵を書く事にチャレンジしようと決めます。
しかし、絵だけでは生活が出来ないので、同時に自分のプログラミング能力を頼りに、
コンサルティングで断続的にお金を稼ごうとぼんやり考えていました。


それから数年間、彼は自分の人生を振り返り、絵を描いているだけでは自分の人生に明確な方向性を見いだせない事に気がつきました。
そうです。
彼は自分が絵を書く事ではなく、あくまであつかましいハッキングに没頭する事こそ、
自分に適しているという事に気がつくのです。



そして遂に1995年に、グラハムは初めてネットスケープについての話を耳にします。
その話とは、将来的にネットスケープは、自分たちの商品をネットで売るようになるのではないかと言う事でした。



その話を聞いた直後、
ポール・グレアムは既に古びたアイディアとなったプログラミングのコンサルをやめ、オンラインビジネスをはじめるために、ハーバード時代からのハッカー仲間であるロバート・モーリスと再会します。
そしてそのオンラインビジネスのアイディアとは、ダウンロードをする事なしに、ウェブサーバー上で実行できるプログラミングをデザインする事でした。
もちろん、過去にそんな事を考えた人はもちろんいません。
そして彼らは、Lispという昔勉強したプログラミングを活かして、そのアイディアの実現に成功します。
更に、そのサービスの名前を、Viawebと名付けました。
これは、オンライン上でのビジネス取引の先陣をきる存在となります。
そんな業界革命を起こした後、
結局、わずか3年後、ViawebYahoo!4500万$で買収されます。



そんな中、2005年にポール・グレアムはハーバードでViawebについて話をする機会を得る事になりました。
その時、グラハムの話を聞いて感嘆したある生徒は、そのまま勢いでコンサル会社を設立してしまいます。
それに触発されたグラハムは、自分の過去の経験を生かそうと、
Y Conbinatorを設立する事になるという事です。
それは、彼がプログラミングを学習する時に得た学習方法である”トライ&エラー”を活かし、
テクノロジー系の起業家を生み出すインキュベーター型のVCでした。




その後のお話は日本でもかなり有名になってきていますが、
ここでは設立当初のあまり知られていない話までを少し紹介したいと思います。




Y Combinatorはポール・グレアムと妻のジェシュカ・リヴィングストン(以下ジェシュカ 詳しくは次回以降ご紹介します)によって共同設立されます。
元々、妻のジェシュカはボストンの投資銀行で働いていました。
しかし、仕事に魅力を感じなくなっていた彼女は、
その仕事を辞めるために他の仕事を探していました。
そんな時、彼女は夫のポール・グレアムがシードラウンドのインキュベーター型VC(もちろん後のY Combinatorです)を設立しようとしている事を知ります。
そして、ジェシュカはそれを共同で設立する事に決めたのです。



設立時、まずポール・グレアムは1$をそのシードラウンド専門のVCに投入し、ジェシュカは投資銀行を辞めました。
そして、更に2人をプロジェクトに加えます。
ロバート・モーリスとテレヴァー・ブラックウェル(以下ブラックウェル)です。
もちろん、このロバート・モーリス(以下モーリス)は上記でさんざん出てきたハーバード時代からのハッカー仲間で、
一緒にViawebを立ち上げた人物です。
モーリスとブラックウェルは2人で5$Y Combinatorに投資します。
それら6万に約14$のエンジェル投資を加えて、結局約20万ドルでY Combinatorは始まります。
因に、Y Combinatorのこの設立当時の名前はCambridge Seedっていうらしいです。
(僕はY Combinatorの方が名前的には全然好きですね笑)
また、会社の登記などに関する法的整備に関しては、
Viawebの時にも1万$で手伝ってくれたジュリアン・ウェーバーにもう一度同じ条件でお願いしたようです。



この後は皆さん知っている人がいて需要なさそうなのでざっくりいきます。


一番最初のSummer Founders Programを実行する時、ポール・グレアムはボストンの大学生に参加を促しました。
最初のプログラムは絶好調だったみたいです。
因にその時ポール・グレアムは、こうも言っています。
「自分たちは、今はまだおもちゃみたいだと無視されるアイディアに投資するのを全く拒まない。なぜなら自分たちがY Combinatorを立ち上げる時、そのように無視されてとても苦戦したからだ」



第2回目のプログラムはシリコンバレーで行われました。
その時にポール・グレアムはボストンよりもシリコンバレーの方がもっともっと多くのスタートアップがいる事を悟ります。そして、ブラックウェルはシリコンバレーにもオフィスを作りました。



その後は周知の通りです。
今に至るまで、Y Combinatorのファウンダーとしてポール・グレアムはインターネットの波に乗りながら、
airbnbredditdropboxのようなスタートアップを立ち上げるVCとしてシリコンバレーに君臨しているのです。



まさにポール・グレアムこそ、所謂アントレプレナーだと思います。
コントロール可能な状況を超越して、機会・成功を追求する。
そのために人生の中で”トライ&エラー”を繰り返し続ける。
すごいですね。
しかも、まさにポール・グレアムはシリコンバレーのアントレプレナーをも体現していると言えます。
シリコンバレーで一度起業し、かつ成功した人達は、半分がもう一度起業し、もう半分が投資家になります。
VCとしてポール・グレアムは起業してしまったので、どちらのグループにもあてはあると言うわけです。

今はまだ日本からY Combinatorに参加した事のある人はあまりいらっしゃいませんが、
この記事を見て興味を持った人が将来参加したいと思っていただけたら幸いです。

それでは長々と失礼致しました!
次回の投稿をお楽しみに~


※豆知識
Y Combinatorのことを日本ではYコンと呼ぶ事が多いですが、シリコンバレーではYCと呼ばれます。


【参考URL
Y Combinator自体の説明は今回かなり省きましたが、このページがとてもよく理解できるようになっていると思います。 http://www.visualthinking.jp/archives/15854?utm_content=buffer5d3ac&utm_source=buffer&utm_medium=twitter&utm_campaign=Buffer
   Y Combinatorホームページ

【参考元文章】


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